20歳の頃。
「小学校の音楽の先生になりたい」という夢を胸に抱いていた私の人生を大きく変えたのが、大学の田中健次先生に連れて行っていただいた「ミュージックテクノロジー教育セミナー in 九州」(通称”阿蘇セミナー”)でした。
大学院の先輩がずらりと参加される中、同期の秋山君と私だけが20歳で参加することになり、不安と期待が入り混じっていました。しかし会場に足を踏み入れた瞬間、九州各県から集まった素敵な先生方が温かく迎えてくれたことで、不安はやわらかな光のように溶けていきました。
田中先生が提案した「先生と呼び合わない」ルールのもと、参加者全員が互いに深い敬意を交わしながら音楽教育について語り合う場。特に印象深かったのが、当時長崎県で最年少の校長になったばかりの嘉松弘一郎先生の基調講演でした。童謡をジャズの和音で弾き、百面相のように表情を切り替えて子どもたちの心をわしづかみにする技術、そしてそのお人柄に一瞬で魅了され、「こんなふうに音楽で人を惹きつけられるんだ」と胸の奥が震える思いでした。(後日、野田浩司先生のご案内で嘉松先生のご自宅にお招きいただくという幸運にも恵まれました。)
参加者は、九州中から集まっていた各県の音楽教育のスペシャリストでした。職業としての「先生」を夢見ていた学生の私に、「あんな先生になりたい」「あんな風に教えたい」という新たな憧れと可能性を開いてくれました。
セミナーのメインイベントは九州中のお酒が集まる懇親会。音楽教育の知識や技術は当たり前に持っているスペシャリストで、さらに人間的な魅力が爆発している先生たちが九州中から年に一度、集まってつながり、また各県に戻り、それぞれの地で音楽教育を引っ張っていく。この場に居合わせることができたのは、とてつもなく大きな感動でした。
終盤、私と秋山君は田中先生に「このつながりを田中先生が作ったんですね、すごいです!」と伝えました。すると先生は柔らかく微笑みながら、「いや、みんなで作っているんだよ。俺がすごいんじゃない。みんながすごいんだ」と答えられました。秋山くんと僕にとって、この一言は一生忘れられない言葉になりました。
セミナーを終えた帰路、秋山君と私は「音楽教育の技術とかはもちろん、人と人をつなぐ力がすごい。僕たちもそういう存在になりたい」と語り合いました。そして、自分たちにできることからチャレンジしよう!と、佐賀で活躍している素敵な人たちを紹介するインタビュー集を作ろうと決意し、企画を佐賀新聞へ持ち込みました。
そのときも、田中先生が新聞社の方に紹介してくださいました。先生は相談しているとすぐに電話をしてくれて、素晴らしい方に、その場で繋いでくださいました。そのスピード感にも、いつも感動していました。私が作曲に興味を持つ最初の一歩となった、ジャズピアニスト野田正純先生との出会いも、田中先生の研究室からかけてくださった1本の電話からはじまりました。
当時の「ミュージックテクノロジー教育セミナー in 九州」は熊本・阿蘇の雄大な自然に抱かれて開催されていましたが、熊本地震で阿蘇へ向かう橋が崩落し、舞台を福岡県に移転し、現在も継続されています。会の規模は拡大し、九州だけでなく全国から素晴らしい先生方が集まっています。
肩書きを脱ぎ捨て、率直に語り合い、若い私たちにまで惜しみなく機会を与えてくださった先生方。
そしてこうして振り返るたび、あの日の田中先生の言葉が蘇ります。「俺がすごいんじゃない。みんながすごいんだ。みんなで作っているんだよ」。
田中先生、本当にありがとうございました。