「フルティマジック」と呼ばれる指導。その正体を訊いたら、
こう返ってきました。
「よく、『笑顔で歌いなさい』って怒ってる先生を見かけるんですが、 怒られて笑顔になるのは不自然だなぁと思うんです。フルティはどんな魔法をかけているんですか?」
ゆげちゃん/『HAPPY MUSIC』p48「あれは教材研究の賜物よ。自分が音楽の良さに気づいていないと、教えられないもの。 知れば知るほど、面白いのが音楽よ」
『HAPPY MUSIC』p48「しかも、その発見した面白さを『伝える面白さ』もありますからね。 先生がワクワクしながら『早く教えたいっ』ていう気持ちは、子どもたちにも伝わるものですね」
「教材を選ぶ時間もワクワクする時間なのよ」——教材は自分で用意する、という話は FRTのRaiseにもあります。
「清……お前は裸の心を持っている。だからお前の絵は人の心を打つんだぞ。 裸の心を失わなければ、大将くらいの絵が書ける。お前は裸の大将なのだ……」
「子どもたちに『裸の心で接する』って大事よね。指導者も旅人も、同じだね」
『HAPPY MUSIC』p49「次に音楽室に入ってくる子どもたちは世界の人口約74億分の40人」
「地球規模で考えると奇跡的なことだと思わない?
子どもたちは、奇跡の時間と空間を共有する大切な仲間なのよ」
「フルティはその子の体調や気持ち、表情を見逃さないことを、 子どもたちは知っているんだと思います」
「それが『一人ひとりの子どもたちに応じた声掛け』につながるのよ」
『HAPPY MUSIC』p49「音楽室ってねえ、入って来ただけでそのクラスに何があったか、すぐわかるんよ」── 見取りのページへ。
「子どもたちには、緊張だけでなく、褒めてもらいたいという気持ちもあるのよ」
「子どもは自分が努力して伸びたことを指導者に見つけてほしいものなのよ。
だから指導者は『がんばって伸びてきたこと』を見極める力もないといけない」
「そう、意味なく褒めるのは逆効果の時もある」
「ゆげちゃんには歌があるじゃない。ゆげちゃんの歌を歌いたくて合唱団ができるくらいだから。 褒めるとかではなく音楽そのもので人を幸せにしているわよ。 指導のことはこれから少しずつ場数を踏むと自然と身につくものよ。 大切な心さえ忘れなければね」
『HAPPY MUSIC』p49。ゆげちゃん「(涙)……今日もいい一日だったなぁ」/フルティ「まだお昼よ。ライブはじまるよ」フルティ先生は、本気で怒る人でもあります。ゆげちゃんが「フルティ大噴火」と呼ぶくらい。 でもそれは、ひとりでやることではないと言います。
「大噴火の時はサポートする大人がいないとできないよ。
家庭でもお父さんの役割とお母さんの役割があるように、
学校でも大きな声を出す先生の後には、それを噛み砕く先生がいないとね。
子どもたちに恐怖感だけを残しては何の教育にもならない」
「そうそう。誰が鬼役で誰が仏役でいくかを、決めて指導しないと。」
ちなみに、ゆげちゃんが「あの時のフルティ大噴火にも意味があったんですね」と言ったときの返事は 「あの時ね! あれはプチよ。プチ噴火よ! まだまだ甘いな!」でした。
FRTもおしりぼりぼりも、この2つの考えの上に載っています。
「『技』よりも、感じる心をもっていることが一番よ!」
「音楽は、心を揺さぶるものよ。感じる心の振り幅を広げるもの。だから、教えるというより、
音楽のよさやおもしろさに気づかせるといいのよ」
『教育音楽 中学・高校版』2017年4月号(連載第1回「私たちの仕事は『音楽を教える』だけではないのよ」)
「クラシックが好きな家庭、ロックが好きな家庭。音楽を全く聴かない家庭、
そもそも音楽プレーヤーがない家庭、音楽が嫌いな家庭もあれば、お母さんがピアノの先生の家庭も
あるでしょ?
でも音楽の授業は、どんな家庭環境の子どもでも、
同時に美しい音楽にふれさせることができる。チャンスを均等に与えることができる。」
『教育音楽 中学・高校版』2017年12月号。「心豊かな生活とは?」への答えは 「喜怒哀楽を感じ取れることだと思うよ。音楽には、それが詰まっている」